無職の意識変革ほど意味のあるものはない。~コミュニケーション編~
前回に引き続き、自分の内面の自己紹介をしていきます。
今回からは無職になってからのお話です。
それではどうぞ。
まずは前書きから。
私は無職となってからも、あいかわらず怠惰な生活を送っていました。
このままの生活を続けることは絶対にできない。そんなことは頭ではわかっていましたが、どこか他人事で危機感を覚えていませんでした。
今は自分探しの時だと自分の中で言い訳し、かといって行動の仕方もわからず、何も前進しない日々を相変わらず送っていました。
無職の意識変革ほど意味のあるものはない。~コミュニケーション編~
(漫画やアニメでよくある、前置き後のタイトルコールの真似)
大学時代まで、私は他人の言葉から、自分にとって意味のあるものを得たことが一度もありませんでした。
これは人の話を聞いていなかったわけではありません。
私の受け取り方が問題だったのです。
当時の私には、自分の話には他人は絶対に興味を持たない、という確信めいた思い込みがありました。特に自分自身のプロフィールの話には。
この思い込みの原因は二つあります。一つは、幼いころ自分の話を聞いてもらえなかったという経験から。もう一つは実際に自分が他人の話にあまり興味がないから。
これら二つの原因により、私は自分自身の内面の話や相談を、他人に全くしなくなりました。当然家族にもです。
その影響で私は聞き上手となり、浅い対人関係はかなり上手くなったという効果もありましたが、その一方で自分の話をするのが極度に苦手になりました。
自分の深い内面の相談もせず、上っ面な内容を適当に相談をしても、当然相手から返ってくるのは、自分にとって意味のない(と思えてしまう)内容の答えばかり。
また「自分の人生他人事」症候群により、どんな他人の話であっても、自分の人生をよりよくするために役立ててやろうという心構えを持って聞くことができていませんでした。
こういった理由から、他人の話が自分にとって意味のあるものだと思えなかったのです。
そして、「他人の話は信用できない」ところから転じて、他人を頼ることができない体になっていました。
問題を自分の中に抱え込んでしまうというやつです。
いままでは、相談することなく自分の中で解決できてしまうような規模の問題しか起こっていませんでした。
しかし、いざ相談しないと自力では解決できないような問題が生じたとき、他人を頼るという手段が自分の中には存在せず、八方塞がりのように見えてしまっていたのです。
就職する気がない、就活のやり方もわからないという今の私の問題は、まさに自力では解決できない性質の問題でした。
ネットを見ても、自分に本当に必要なのかわからないような当たり前の情報しか書かれていません。
そうして自力ではどうしたらいいかわからなくなり、結果自室に引きこもるという悪循環に陥ったのでした。
コミュニケーションにおける問題を解決するための転機は、やはりコミュニケーションを通じて訪れることになりました。
無職ライフを送るうちに、母親と食事に行く機会がありました。
そこで酒の力も借りて、今までは濁しながら話していた私の就職への向き合い方などの、自分の内面についてのすべてを、勇気を出して正直に話したのです。
初めて他人に自分のことを打ち明けた瞬間でした。そしてその結果返ってきた母親の言葉は、初めて自分に向けられた言葉として実感することが出来ました。
自分のことを包み隠さず相手に話すことで返ってくる相手の言葉は、想像以上に自分の心の中にしみわたりました。
理屈で考えてもそれは当然の話でした。
自分にとって必要な情報を相手から得るには、自分のことをまず相手に正確に伝えなければいけません。そうしないと相手もこちらに的確な情報を返しようがないのです。
それに気づいてからは、様々な人にありのままの自分について話したうえで、相談に乗ってもらいました。
相手から返ってくる言葉は、内容の違いこそあれ、すべて私に向けられたものだと実感できました。
そのなかで、ようやく私は、他人は一人一人違う人生を生き、違う意見を持っているという、自分にとってのリソースの塊であることに気づきました。
自分のことをうまく話せば、自分にとって重要な情報が簡単に返ってくる。
こんなに楽な手段を利用しない手はありません。
とくに年上の方の話の価値は計り知れないです。
月並みな言葉ですが、亀の甲より年の劫。人生での大きな悩みは、その悩みが大きければ大きいほど、先を生きている大人たちも同じような悩みを経験している可能性が高いのです。
そしてそれを何らかの手段で乗り越えた先人たちの知恵は、いわばチートアイテムです。
相談という手段の利便性、そして人に自分のことを話すことの重要性。
それらのことに私はようやく気付けたのです。
読んでくださった皆さんの中には、「この程度の知識なら巷にありふれているし、理屈で考えたらわかるだろ」と思う方もいるかもしれません。
しかし私の頑固な性格上、実感を伴った知識でないと素直に受け取ることができないのです。
もし過去の私がこのブログを見たところで、この内容を素直に自分に生かそうとはしなかったでしょう。
それだけ私にとって、「自分のことを正確に話したうえで相手から返ってくる言葉はヤバイ」という事実は、今まで経験したことのない大きな新発見だったのです。
そうしてこの男無職は、今まで自分にとっては存在しないに等しかった、新たなデカい知識と手段を得ました。
そして、意識変革への大きな一歩を踏み出したのです。
ここから、「人生の目的編」にて学んだことも合わさり、さらなる変革が到来するのですが、今回はここまでで。
次回は「環境づくり編」です。