無料デジタルコンテンツ消費と思考力に関する気づき
さて、今回はデジタルコンテンツ消費と思考力に関する私の気づきのようなものです。
「この男無職、無職のくせに偉そうだな」と思いつつ、生暖かい目で読んでくださるとうれしいです。
前回の記事のとおり、男無職は努力のためのトリガーの存在にバスの中でふと気づき、そこから一心不乱に思考を深めていきました。
そしてついには自分が努力できるための条件を発見することが出来たのです。
前回、これを見つけられたのは偶然であって偶然じゃないと書きました。
では何が偶然じゃないのか?
それを説明するには
①大学時代、コンテンツ消費により生じた思考力の低下と現実逃避、
そして
②最近実感している、まずは行動することで思考するための材料を生み出せる、という「行動→思考サイクル」
の二つについてお話しする必要があります。
今回は前半の①についてお話します。
②についてのお話は次回ですね。
それでは、どうぞ。
コンテンツ消費沼にはまるまで
私は高校まではガラケーで、インターネットに日常的に触れることはあまりありませんでした。
大学でスマホデビューし、さらには一人暮らしを始め、いつでも気軽にインターネットに触れられるようになったことをきっかけに、私はインターネットに一気に夢中になりました。
典型的なネット中毒になるパターンですね。
そして、インターネット上に大量に転がっている無料のコンテンツは、私の脳を破壊しつくしました。
動画やネット小説、ソシャゲなど、広告から収入を得ているコンテンツなら、消費者はタダで無限に消費することが出来ます。
また、従来は有料だった商品に関しても、時代に合わせて、サブスクなどの実質無料となるサービスが展開されはじめました。
この無料のデジタルコンテンツの数々はあらゆる面で「楽」を象徴するものでした。
得るために支払う対価もありませんし、こういったコンテンツからは大概頭を使わずとも受動的に快楽を摂取できることが多いです。
これマジ?得られる快楽に比べてかかる労力が貧弱すぎるだろ…
そんなこんなで、もともと怠惰な性質を持ち合わせていた私は、この「楽」の虜となってしまったのでした。
コンテンツ消費と現実逃避のマリアージュ
日々コンテンツを大量に消費する中で、自分と現実を見つめなおすための思考力が衰えていった気がします。
自分を見つめなおすといった知的活動は、やり始めるのにとんでもなく大きな労力を使うものです。
コンテンツの消費という労力を伴わない快楽に慣れてしまうと、疲労しそうな知的活動をやり始めることから無意識に逃げてしまうのでしょう。
しかし、自分と現実から逃げ続けていると、いつか必ず現実は悪化します。
現実を見つめることから逃げ、コンテンツ消費にいそしむうちに、さらに現実が悪化していくので現実を見つめなおすハードルはどんどん上がっていきます。
その分頭を使うことも避けるようになるので、思考力もどんどん低下していきます。
そして気づけば、コンテンツ消費だけで他に何もせず1日を終えてしまう日々となっていました。
もう終わりだよこの無職。
このように、コンテンツ消費と現実逃避のマリアージュにより、「現実悪化→思考力低下」という見事なネガティヴスパイラルが形成されていったのでした。
デジタルコンテンツ消費へのささやかな抵抗
現在、私はいまだに無料のデジタルコンテンツ消費の快楽から足を洗えていません。
「日本の無料コンテンツの依存性は高すぎる!」
ですが、最近私が無料のデジタルコンテンツ消費とうまく付き合う方法を一つ思いつき、実践していることがあります。
あ、ちなみに、現実逃避ではなく気分転換の手段として意識し、無料コンテンツを有効に利用できている方には何も言うことはありません。免許皆伝です。
しかし、コンテンツ消費のトラップにはまってしまった迷える子羊ちゃんたちには、先輩子羊から一つアドバイスを差し上げましょう。
頭も金も使わなくて楽なネット上の無料コンテンツはつい消費してしまいがちです。
ですが、ただ消費するばかりだと自分の中のリソースも消費する一方です。
時間もそうですが、実は感情も浪費しています。
気分転換のつもりでコンテンツを利用し始めたのに、感情がコンテンツ内の情報に振り回されて疲弊してしまい、結局気分転換にはならないことも。
そこで提案です。
コンテンツを消費する上で、何か生産的な要素を少し加えるのはどうでしょうか。
ネット上で動画や漫画を見るなら何かコメントを書く、とか。ソシャゲをするなら周回結果をツイッターで報告する、とかね。
どんなコメントをしようか考えながら動画や漫画を見るだけで、ぼんやり見ている時の頭の使い方とは明らかに違う、クリエイティブな頭の使い方をしていると実感しながら見ることができるでしょう。
消費するだけのルーチンにストッパーを設けることが出来るうえに、消費し続けて失った思考力の回復に役立てるかもしれない、という一石二鳥っぷりです。
実はこのブログもその一環で始めたところがあります。
何もせずコンテンツ消費だけで終わってしまった日は、その感想をブログに書くことで少しでもクリエイティブなものにして抗おう、というわけですね。
ともあれ、コンテンツをただ消費するだけでなく、自分に何かしらの形で身につくよう「利用」してやりましょう。
ちなみに私はソシャゲの周回はやめました。
以前私は、時間回復ゲージを消化できなければ地獄に落ちる、という小学生の縁石渡りゲームのような強迫観念に押されて日々の周回を続けていました。
でもある日、その日の時間回復ゲージを使わずにうっかり一日を終えてしまったところ、地獄に落ちた様子はなく、それどころか毎日周回するのが急にばからしくなり、それ以来周回はやめてしまいました。
デジタルコンテンツ消費へのささやかな抵抗の方法を書いたところで、今回はおしまいです。
次回は「行動→思考」サイクルについて、そして低下してしまった思考力をどう補って回復するかについてお話します。